知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

DUTY FREE SHOPP.の島唄をUP

昨日宮沢さんのライブに行ってきたのでその続き。

なんと島唄が今年20周年だそうで、早いなぁ。
中一の頃親友に貸してもらったウチナーグチバージョンのシングル。ゲストのよなは徹さんもMCで「島唄で三線を始めた人は本当に多かった」と言ってたけど、俺ももれなくその一人(笑)。高校の時はブームのコピーバンドもしたし、確実に人生変えた一曲。

島唄についてはこれまで何回かコラムに書いたけど複雑な思い入れがあった。

その背景を、もう時効だと思うのでもう少し詳しく書いてみる。
2001年にカーミヌクーを出した時、様々なレコード会社からお話を頂いた。
その中で、某メジャーレーベルから「THE BOOMの島唄をラップでカバーしてデビュー」という企画に乗らないかというお話を頂いた。
ちょうどKICK THE KAN CREWのクリスマスイブ・ラップが流行って、そのフォーマットが頻発されていた頃だ。

当時僕たちはバンド編成だったけど、レコード会社の条件は「ボーカル一人だけいればいい、オケも向こうが用意する、サビは原曲の声をそのまま使うので、君はラップを入れるだけ」というものだった。

あまりにもショックだった。悔しかった。
「いやいや、俺たちバンドだし、せめて一回バンドでアレンジさせてみてもらえませんか。」ということで、デモを作った。

ちょうそのタイミングで宮沢さんが来沖していたので、カーミヌクーと島唄のデモを持って会いに行った。カバーするなら挨拶しておきたいと思ったから。宮沢さんは快く接して下さったけど、そのカバーの話は全く知らなかった。違うレコード会社の企画なので当然だけど。

その後僕らのデモはボツになり、デビューの話も流れた。
先方の意向とあまりにも違う内容だったからまぁ当然だろう。

若さもあって突っ張ったなぁと思うけど、それがあって今の自分があると思うから後悔はしてない。

DUTY FREE SHOPP.の島唄も、バンドが活動休止する前の、一番脂が乗ってた時の音源だし、なっちゅんとナーガーという僕が本メンバーにしたかった二人が参加しての、理想の編成だったので、ずっと世に出したいなと思ってたけどタイミングが作れなかった。

けど昨日「島唄20周年」というのを聞いて、
良い機会だからYouTubeにアップしてみることにした。

自分で映像も付けてみた。

島唄が出た92年から10年後の2002年に作られた、沖縄の若者たちからの島唄への返答。
それを更に10年後の2012年にこうして形に残しておく。
よかったら是非見てほしい。



追記--------------
2003年に宮沢さんの番組に出させて頂いた時のレポ。
極東ラジオ第334回(2003年8月OA)宮沢和史×知花竜海
http://www.five-d.co.jp/fer/data/text/0308_4F.html




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