知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

ひとすじの光

★てつがくのあたびち
このコラムは2003年9月から2004年2月まで雑誌『月刊hands』に連載されたものです。

てつがくのあたびち 第六回(最終回)-----------------
月刊hands 2004年2月号掲載 
『ひとすじの光』

 2003年の僕はまるで長いトンネルにいるようだった。夢と希望とアイデアがぎっしり詰まったノートブック、アルバム三枚分くらいの新曲、そして品味期限という熱い思い出を真空パックしたCD。それらを抱えて北京留学から帰った僕を待ち構えていたのは現実の壁。そいつは調子こいて帰ってきた僕の前にドドーンと立ちはだかった。ミュージシャンにとって音楽が出来ないほど不健康なことはない。時間もお金も体力も精神力も、音楽の為だけに使えたらどんなにいいだろうか。音楽をやる為に音楽以外のことをはるかにいっぱいやらなけらばならないという矛盾と戦いながら、それでもやっぱり音楽で鳥肌が立ったあの瞬間が忘れられなくて僕はしがみつく。同世代の仲間たちはどんどんブレイクを果たし隣の芝生がやけに青く見えた。「チキショー何で認められないんだ、何でうまく進まないんだー」って焦ってもがくほど、音楽が痩せて行くのがわかった。そして気がついたら頭でっかちで倒れそうになった僕の体を仲間が支えてくれていた。一人で走っているつもりだったが、見渡してみると沢山の仲間も味方もいる。僕の音楽を楽しみにしてくれている人達がいる。上からの評価や点数なんかよりも、横の繋がりや下からの支持の方がずっと大切な宝物だということ、そして僕はすでにそれを持っているということを、わかっていたつもりで全然わかっていなかった。好きな人たちと好きな音楽を自由にやれてれば、後のことは全部おまけみたいなものだ。そんなの高校の時からずっと知ってたじゃないか。だから原点に帰るつもりで、僕はアコギを持って一人で歌い始めた。忘れていた気持ちをひとつひとつ思い出すため。2004年、全てがそろったこの僕は無敵です。

 このコラムは今回で終了です。半年間ご愛読ありがとうございました。次はステージで会いましょう!知花竜海


目次

第一回 『ねじれた「島唄」への想い』
第二回 『島唄よ風に乗りまーかいが?』
第三回 『エイサーに想う』
第四回 『ウチナーンチュの定義とは?』
第五回 『手にはペンとマイクが握られている』
第六回 『ひとすじの光』



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