知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

ウチナーンチュの定義とは?

★てつがくのあたびち
このコラムは2003年9月から2004年2月まで雑誌『月刊hands』に連載されたものです。

てつがくのあたびち第四回-----------------
月刊hands 2003年12月号掲載 
『ウチナーンチュの定義とは?』

 ウチナンチュ(沖縄の人)という言葉ほどあいまいで定義の難しい言葉はない。まぁ普通に考えれば沖縄に生まれ育った人々とその血筋を引く人と言うことになるんだろうが。表向きは「世界のウチナンチュ」という言葉が示すように、沖縄で生まれ育っていないどころか土を踏んだことすらなくても、とりあえず血さえ引いていればウチナンチュということになっている。しかし実際には、ヤマトンチュ(日本人)とウチナンチュの間に生まれた僕は小学校の頃ナイチャー(内地の人)とバカにされたし、少しでも血が混じっているとアメリカーとかフィリピナーとか言われていじめの対象になる。ハワイとかブラジルの移民帰りの二世三世たちも、しゃべり方が違うとか名字が違うとかいろんな理由でウチナンチュとして見てもらえなかったりする。しかし考えてみれば「沖縄の血」とは言ってもルーツは大陸のモンゴロイドや南方の海洋民族なんかが入り混じったものだし、そもそも国家として成立する前は「琉球人」というアイデンティティーすらなかったんだし…とかそういうことを考えていると「○○人」と区別すること自体すでに何の意味があるのか分からなくなってくる。
 僕も「沖縄で生まれ育ったんだから俺は紛れもないウチナンチュだ」と自分で思えるようになるまでにはものすごい葛藤があった。移住・転勤などで両親ともにヤマトンチュの場合なんかはもっとだろう。まぁ基本的なアイデンティティー形成は子供の頃に家庭環境によってなされるわけだから、本来なら沖縄で生まれ育った「日系二世」というべきなのかもしれない。でも血は入ってなくたって、その辺の「ウチナンチュ」よりよっぽど沖縄の自然や文化を愛している人なんかいくらでもいるし、結局は国籍や人種や民族や住んでいる地域とかではなくて、魂・スピリットが「ウチナンチュ」であるかどうかだけかもしれない。過去の人たちが受け継いできたものを継承し、未来の子供たちのために現在を大切に生きる「人間らしい人間」、誇り高き「ウチナンチュ」の姿でありたいと思う。


目次

第一回 『ねじれた「島唄」への想い』
第二回 『島唄よ風に乗りまーかいが?』
第三回 『エイサーに想う』
第四回 『ウチナーンチュの定義とは?』
第五回 『手にはペンとマイクが握られている』
第六回 『ひとすじの光』


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