知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

エイサーに想う

★てつがくのあたびち
このコラムは2003年9月から2004年2月まで雑誌『月刊hands』に連載されたものです。

てつがくのあたびち 第三回-----------------
月刊hands 2003年11月号掲載 
『エイサーに想う』

 今年も地元の幼馴染の友達からエイサーに出れ(強制)と電話がかかってきた。どんなに村から出てカッコつけているつもりでも、自分は変わったと思っていても、エイサーに行けばガバッと小学生の頃に引き戻される。今でこそ毎年エイサーに参加している僕だが、そのたびに蘇る苦い思い出がある。
 小学生の頃、地域の子供たちを公民館に集めて行う学事奨励会という行事があった。区長さんから頑張って勉強しなさいよと言ってジュースやお菓子、鉛筆やノートなどが配られるのだ。村の子供たちは年に一度のこの日を楽しみにしていて、僕も近所の友達みんなとわくわくしながら近くの渡慶次公民館に出かけていった。しかし、全員の名前が呼ばれ終わっても、とうとう僕の名前は呼ばれなかった。「あんたは渡慶次じゃなくて隣の儀間だよ、儀間公民館に行きなさい。」区長さんは僕にそう言った。僕は一人でとぼとぼと儀間公民館に向かった。途中お菓子をいっぱい抱えた友達がニコニコしながら歩いているのと何度もすれ違った。「あんたの名前は名簿に無いからあんたは儀間じゃないよ、渡慶次に行ってみなさい。」儀間公民館のおじさんはそう僕に言った。僕は泣きながら家に帰った。自分の住んでいる字(あざ)の子ども会に登録していなければ地域行事に参加する権利も義務もない。うちは「その他組」といって字未加入だったので、行事のたびに仲間に入れてもらえない疎外感を感じて辛かったことを覚えている。
 それに比べてエイサーはフリーだ。人数が多いほどいいので他の村の人でも大歓迎だし、大和人だろうが外国人だろうが観光客だろうが誰でも参加することができる。僕はエイサーに出るようになって初めて、地域社会の中に自分の居場所を見つけることができた。シマ社会・ムラ社会の良い面も悪い面もあるとは思うが、今年もこの島に生まれた喜びを強く実感しながらエイサーを踊った。


目次

第一回 『ねじれた「島唄」への想い』
第二回 『島唄よ風に乗りまーかいが?』
第三回 『エイサーに想う』
第四回 『ウチナーンチュの定義とは?』
第五回 『手にはペンとマイクが握られている』
第六回 『ひとすじの光』


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