島唄よ風に乗りまーかいが?
★てつがくのあたびち
このコラムは2003年9月から2004年2月まで雑誌『月刊hands』に連載されたものです。
てつがくのあたびち 第二回-----------------
月刊hands 2003年10月号掲載
『島唄よ風に乗りまーかいが?』
たみのうたと書いて民謡、しまのうたと書いて島唄。もともとそれは島人(しまんちゅ)の島人による島人のための歌であり、沖縄(うちなー)の心であり、誇りであったはずだ。しかし時代は変わり、島の人たちは東京やアメリカの音楽ばかり聞くようになった。土地の人がまったく聞かなくなってしまった「民謡」は大和からの観光客相手にお土産品として売られているばかり。もはやウチナンチュにとって文化・自然はおろか、沖縄の心さえもただの商売道具でしかないのだろうか?と思ってしまうことさえある。あと県内のイベントや民謡ライブなどのフィナーレのカチャーシーでよく目にする、前で盛り上がって楽しそうに踊っているのは大和人(ヤマトンチュ)だけというあの光景。当の沖縄人(ウチナンチュ)はしらけているのか恥ずかしがっているのか、まさか踊り方まで忘れてしまったわけではあるまいと思うが。
沖縄は素晴しいですよと外に向かってばかり発信し続けていたら、いつのまにか宝物はみんな流出して、肝心の島の中や家の中は空っぽになってしまったみたい。美浜や新都心の本土大型チェーンに負けて商店街がさびれ、コンビニに負けてマチャーグワーがつぶれ、ファーストフードやファミレスに負けて食堂がなくなって、かろうじて「酒は泡盛、ビールはオリオン」という以外にいったい何をもってして「我んや沖縄人どー」と言えるのか?
沖縄の音楽にハマって三線も習い始めたAさん、念願叶って沖縄に移住してみたら、当の沖縄の人たちは誰も三線が引けないどころか、むしろAさんのほうが沖縄の歌に詳しくて拍子抜けってデージ情けないやし。「やっぱ本物には敵わないなー」とうならせられるだけのものが沖縄にあり続けなかったらカッコ悪いやし。っていうかもうこの際音楽のジャンルが民謡であるかどうかとか関係ないし別に三線が入ってなくたっていいからさー、内発的でしかも内向きな「本当の意味での民謡・島唄」をもう一度取り戻さんとヤバイあんに?
*注 まーかいが?→どこいくの?
目次
第一回 『ねじれた「島唄」への想い』
第二回 『島唄よ風に乗りまーかいが?』
第三回 『エイサーに想う』
第四回 『ウチナーンチュの定義とは?』
第五回 『手にはペンとマイクが握られている』
第六回 『ひとすじの光』
このコラムは2003年9月から2004年2月まで雑誌『月刊hands』に連載されたものです。
てつがくのあたびち 第二回-----------------
月刊hands 2003年10月号掲載
『島唄よ風に乗りまーかいが?』
たみのうたと書いて民謡、しまのうたと書いて島唄。もともとそれは島人(しまんちゅ)の島人による島人のための歌であり、沖縄(うちなー)の心であり、誇りであったはずだ。しかし時代は変わり、島の人たちは東京やアメリカの音楽ばかり聞くようになった。土地の人がまったく聞かなくなってしまった「民謡」は大和からの観光客相手にお土産品として売られているばかり。もはやウチナンチュにとって文化・自然はおろか、沖縄の心さえもただの商売道具でしかないのだろうか?と思ってしまうことさえある。あと県内のイベントや民謡ライブなどのフィナーレのカチャーシーでよく目にする、前で盛り上がって楽しそうに踊っているのは大和人(ヤマトンチュ)だけというあの光景。当の沖縄人(ウチナンチュ)はしらけているのか恥ずかしがっているのか、まさか踊り方まで忘れてしまったわけではあるまいと思うが。
沖縄は素晴しいですよと外に向かってばかり発信し続けていたら、いつのまにか宝物はみんな流出して、肝心の島の中や家の中は空っぽになってしまったみたい。美浜や新都心の本土大型チェーンに負けて商店街がさびれ、コンビニに負けてマチャーグワーがつぶれ、ファーストフードやファミレスに負けて食堂がなくなって、かろうじて「酒は泡盛、ビールはオリオン」という以外にいったい何をもってして「我んや沖縄人どー」と言えるのか?
沖縄の音楽にハマって三線も習い始めたAさん、念願叶って沖縄に移住してみたら、当の沖縄の人たちは誰も三線が引けないどころか、むしろAさんのほうが沖縄の歌に詳しくて拍子抜けってデージ情けないやし。「やっぱ本物には敵わないなー」とうならせられるだけのものが沖縄にあり続けなかったらカッコ悪いやし。っていうかもうこの際音楽のジャンルが民謡であるかどうかとか関係ないし別に三線が入ってなくたっていいからさー、内発的でしかも内向きな「本当の意味での民謡・島唄」をもう一度取り戻さんとヤバイあんに?
*注 まーかいが?→どこいくの?
目次
第一回 『ねじれた「島唄」への想い』
第二回 『島唄よ風に乗りまーかいが?』
第三回 『エイサーに想う』
第四回 『ウチナーンチュの定義とは?』
第五回 『手にはペンとマイクが握られている』
第六回 『ひとすじの光』