3.11を受けた音楽家の葛藤と行動について
震災後に考えたことをTwitterのログから拾って、
自分自身の考察や感情の記録としてブログにメモっておきます。
311を受けた音楽家の葛藤と行動について
4/17の投稿
長渕剛が被災地に入り、自衛隊への慰問ライブを展開。賛否や内容については色々考えさせられるが、少なくとも被災地支援のために自分の信念で具体的に行動していることだけは確か。現地に入らずPCの前にいる自分には今これをどうこう言う資格はないと思った
右も左も関係なく、それぞれの立場で支援に繋がると思う動きをすることに、価値の優劣は無いと思った。意見や立場の違いで「方法論」や「答え」は違うが、少なくとも根っこで共通している気持ちは確実にある。それを大事にしないといけないな。
その上で、敵は「意見の違う相手」ではなく、「国や社会のシステム」だと改めて再認識。そこに対しては追求する資格も、怒る資格もある。左右関係なく、それはある。より良い「国」を目指すなら当然だ。
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5/9の投稿
「結局お前も金儲けか」的な批判の仕方は良くない。リスクを背負って頑張ってる人に対してそれを全てボランティアでやれと強要するのは廻り廻って自分の為にもならない。活動には資金が必要。企業が動くには儲かる確信が必要。頑張る人に正当な評価と支援を。
結局 国も企業もお金で動くのだから、クリーンエネルギーの方が原発より儲かる、とか原発作るよりも廃炉ビジネスの方が儲かるとか、不純な動機でも結果オーライな部分はある。そういう風に世論を動かして時代の舵を切って行くのが主権を持った国民の役目。
ただ、音楽において震災に便乗して儲けようとしてるだけのものはやはり違和感。「CMの後はブレイク目前のガールズユニットが絆ソングを熱唱」って、あまりにも、、、、あまりにも、、、。
したたかさが必要なのはわかる。彼女たちやレコード会社が本当に聞かせたいものや伝えたいことは別にあって、手段としてあの売り出し方をしてるなら別に良いと思うんだが、多分彼女たちにもレコード会社にも「何もない」んだと思った。心も魂も。それを感じてガーンってなった。
企業や国には営利で割り切るようなこと言っといて、音楽に対してそこで割り切れないのは、自分が音楽屋だからだはず。音楽が好き過ぎて、理想も過剰なってしまってるんだな。自己矛盾と葛藤。人間だもの。
俺の性格的には「やらない善よりやる偽善」という考え方が一番しっくり来る。結果的に被災地のためになるなら、それは誰であれ、何であれ素晴らしい。でも「CMの後は絆ソングを熱唱」は、絶望的なほど何の為になるかが分からなかった。もはや偽善でもない。
BRAHMANも七尾旅人もソウルフラワーユニオンもサンボマスターも長渕剛も氷室京介もGACKTもYOSHIKIもSing02もJUN SKY WALKER(S)もエガちゃんも(笑)立場や観点ややり方は違うけどそれぞれの筋が通ってる。「CMの後は絆ソングを熱唱」とは対極にあると感じる。
やっぱし自己矛盾はしてないな。重要なのは「確信犯」であるかどうかなんだ。脱原発やクリーンエネルギーへの転換が社会正義や使命感などに基づいて、それを企業として押し通す為に営利の形をとるならばOK。それが無ければ焼肉えびすや原発と同じ暴走する。
被災地の為に知名度を利用するか、知名度UPの為に被災地を利用するかの違いなら後者は×。でもこれが、知名度UPの為に被災地支援を利用する、なら、結果的には被災地支援には繋がるからOKなのか、難しいな。つべこべ考えずにやることやれ、か笑
ライターの @mamanatsuko さんに教えて頂いた
小沢健二さんの「町に血が流れる時」
http://hihumiyo.net/machi_text.html
自分自身の考察や感情の記録としてブログにメモっておきます。
311を受けた音楽家の葛藤と行動について
4/17の投稿
長渕剛が被災地に入り、自衛隊への慰問ライブを展開。賛否や内容については色々考えさせられるが、少なくとも被災地支援のために自分の信念で具体的に行動していることだけは確か。現地に入らずPCの前にいる自分には今これをどうこう言う資格はないと思った
右も左も関係なく、それぞれの立場で支援に繋がると思う動きをすることに、価値の優劣は無いと思った。意見や立場の違いで「方法論」や「答え」は違うが、少なくとも根っこで共通している気持ちは確実にある。それを大事にしないといけないな。
その上で、敵は「意見の違う相手」ではなく、「国や社会のシステム」だと改めて再認識。そこに対しては追求する資格も、怒る資格もある。左右関係なく、それはある。より良い「国」を目指すなら当然だ。
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「結局お前も金儲けか」的な批判の仕方は良くない。リスクを背負って頑張ってる人に対してそれを全てボランティアでやれと強要するのは廻り廻って自分の為にもならない。活動には資金が必要。企業が動くには儲かる確信が必要。頑張る人に正当な評価と支援を。
結局 国も企業もお金で動くのだから、クリーンエネルギーの方が原発より儲かる、とか原発作るよりも廃炉ビジネスの方が儲かるとか、不純な動機でも結果オーライな部分はある。そういう風に世論を動かして時代の舵を切って行くのが主権を持った国民の役目。
ただ、音楽において震災に便乗して儲けようとしてるだけのものはやはり違和感。「CMの後はブレイク目前のガールズユニットが絆ソングを熱唱」って、あまりにも、、、、あまりにも、、、。
したたかさが必要なのはわかる。彼女たちやレコード会社が本当に聞かせたいものや伝えたいことは別にあって、手段としてあの売り出し方をしてるなら別に良いと思うんだが、多分彼女たちにもレコード会社にも「何もない」んだと思った。心も魂も。それを感じてガーンってなった。
企業や国には営利で割り切るようなこと言っといて、音楽に対してそこで割り切れないのは、自分が音楽屋だからだはず。音楽が好き過ぎて、理想も過剰なってしまってるんだな。自己矛盾と葛藤。人間だもの。
俺の性格的には「やらない善よりやる偽善」という考え方が一番しっくり来る。結果的に被災地のためになるなら、それは誰であれ、何であれ素晴らしい。でも「CMの後は絆ソングを熱唱」は、絶望的なほど何の為になるかが分からなかった。もはや偽善でもない。
BRAHMANも七尾旅人もソウルフラワーユニオンもサンボマスターも長渕剛も氷室京介もGACKTもYOSHIKIもSing02もJUN SKY WALKER(S)もエガちゃんも(笑)立場や観点ややり方は違うけどそれぞれの筋が通ってる。「CMの後は絆ソングを熱唱」とは対極にあると感じる。
やっぱし自己矛盾はしてないな。重要なのは「確信犯」であるかどうかなんだ。脱原発やクリーンエネルギーへの転換が社会正義や使命感などに基づいて、それを企業として押し通す為に営利の形をとるならばOK。それが無ければ焼肉えびすや原発と同じ暴走する。
被災地の為に知名度を利用するか、知名度UPの為に被災地を利用するかの違いなら後者は×。でもこれが、知名度UPの為に被災地支援を利用する、なら、結果的には被災地支援には繋がるからOKなのか、難しいな。つべこべ考えずにやることやれ、か笑
ライターの @mamanatsuko さんに教えて頂いた
小沢健二さんの「町に血が流れる時」
http://hihumiyo.net/machi_text.html