知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

芝居の神様

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沖縄にはウチナー芝居や舞台の公演などの時に、客席でちょくちょく見かける「芝居の神様」がいた。

舞台人の間ではその人が会場に来ていれば公演は成功すると言われ、公演には勿論顔パスで入り楽屋弁当まで出されていたという。

「いっちゃん」という愛称で親しまれたその人を一番最初に見たのは確か小学生の頃。
母に連れられて行った今は無き那覇の小劇場ジャンジャンで行われた津軽三味線の高橋竹山の公演だった。

一見浮浪者に見まがうようなその風体とトレードマークのキャップ。シワだらけの黒い肌とギョロっとした目。
あの人は何者なんだろう?
子供心に強く印象に残った。

その後幾度も幾度も、心に残る名公演の会場でニコニコ笑っている彼を見かけては、密かに気にしていた。
何故か僕の中では山之口獏の座布団の詩の人物とイメージが重なって見えた。

2000年に僕が音楽プロデュースで参加した演劇企画魚の目の公演「イッパイイッパイ!」では、全八回公演全てに彼は来た。
彼が居るから絶対に公演は成功するという安心感があった。


そんな彼が食べ物を喉に詰まらせて亡くなったと舞台関係の友人から聞いたのは先月のこと。
喜名定市という名前だったこともその後新聞の記事を読んで初めて知った。
享年68歳だったというが、もっとおじぃに見えた。

最後に彼を見たのは、肝高の阿麻和利の国立劇場公演だっただろうか。

彼の死と共に沖縄の芝居のひとつの時代が終わったような気がする。

沖縄の芝居の、舞台の、芸能の生き証人だったいっちゃん。
いっちゃんを見かけた公演を聞き取り調査して「いっちゃん年表」を作ったりとか、玉城満さんとか笑築関係者あたりがやってくれないかな。

彼は何も語ることなく亡くなったが、僕らは彼と彼が生きた時代のことを語り次いで行きたいと思う。
芝居の神様、
くりからん、いちん いちまでぃんニコニコし、わしたウチナーぬ舞台 見守ちょーてぃくみそーり。

(これからも、いつもいつまでもニコニコして、私たち沖縄の舞台を見守っていて下さい。)





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この記事へのコメント

私もね、パレット前の「ClapHands!!」見に来てくれてたから
いっちゃんのニュースはズーンと響いたよ。
日記にも書いたけど、無名の有名人というか、
誰もどこの誰とも知らないけど愛されてたって
すごいなぁとしみじみと思った。
あの笑顔は忘れられないね。
Posted by KEN子 at 2006年10月24日 14:08

すげー!クラップハンズにも来ていたとは!
伝説ですね!
Posted by たつみ at 2006年10月28日 00:22
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