『新しい世界』ロングインタビュー 後半

知花竜海

2012年11月21日 00:00

前半からの続きです。)


『(3.11を経て)自分の歌がすごく無力に感じて、
 なお今も歌えることがあるとすれば「命輝け」という一言だけだった』


【session3:アルバムのコンセプトと楽曲解説】

■このアルバムの構想して数年の間に、今を生きる者として誰しも避けて通れない「3.11」を経て、今最も伝えたいメッセージとは何ですか。■

竜海:津波の映像を見て、半年ぐらい音楽できなくなって、自分の歌がすごく無力に感じて、あのインパクトの前に太刀打ちできる音楽を自分は持ってないと思った。悩んで悩んで考えて考えて、今も歌えることがあるとすれば、「命輝け」という一言だけだという結論になった。
 タイトル曲「新しい世界」曲自体は2010年のPeace Music Festa!の時に、辺野古の浜で歌いたい曲として作ったんですけど、作ってる時は沖縄というテーマで作った曲だったけど、311を経て、自分の中で曲の意味が変わってというか広がって、命の長さとかは人それぞれ分からない。誰がいつどういうタイミングで死ぬかどれだけ生きるか分からない。そのそれぞれが生きている時間の中で輝いてほしいということだけだなと思った。
「崩れ落ちて行く世界で、こぼれて溢れ出すこの命輝け」もちろん僕らは戦争とか環境破壊とかいろんな問題に対してそれを食い止めたいと思って発信したりするわけだけど、そういうことも含めて、世界の混沌の中で僕は結果が全てではないと思うんですよ。最終的にどうなるか、解決するかしないか、という結果というところよりは今行きている自分達がこの時代に対してどう生きてどう言葉を残すかということ、その行為だけが今自分の中にある事なのかなと思って。
観念的なことなので難しいんだけど、僕の中でこの曲は沖縄のトピックを盛り込んでいるけど、地球そのものとか命、人生という所に対して自分が胸に抱いている答えという歌に、3.11を経て結果的になりました。

■ここからは一曲ずつ詳しく聞いていきます。まず1曲目「新しい世界」、CDをかけるとまず最初に逆回しがグニュグニュ〜っとネジレてからドカーン!と1曲目が飛び出してくる感じですね! ■

竜海:まさにそういうイメージ、ビッグバンから生まれる「新しい世界」。

■テンポの良い三線、クレジット見てビックリ!竜海さんが弾いていますね。ほとんどライブで弾くのを見た事がないのですが、三線にまつわる思い出などありますか?

竜海:高三~25歳までかな、地元の儀間青年会でエイサーやってましたよ。三線は弾いてないけど。高一の時に、戦後50年を記念して「天に響(とよ)め、さんしん三千」という、3000丁の三線を奥武山で客席も全員三線を弾くというイベントがあったんだけど、テーマ曲の詞を公募してTHE BOOMが曲を付けてみんなで演奏するという企画で、当時は単にBOOMに憧れてたから、そこに出たくてミーハーファン心で高1から習い始めました(笑)。この曲は最初三線もエイサーも入ってなかったんだけど、2010年のPeace Music Festa!辺野古で城間竜太(※東村出身の若手民謡唄者)とコラボしたり、そのプレツアーで上間綾乃(※うるま市出身の若手民謡唄者)とコラボしたりする中で、三線合うな、と。今回の録音でも最後の最後に思いついてエイサーの音を入れてみた時にやっとこの曲が完成したなという気持ちになりました。

■CDをかけて最初に出て来る言葉が「辺野古」で、他に地名としては泡瀬、喜如嘉、高江と出てきますが、それぞれの土地を選んだ理由は何ですか?■

竜海:やっぱり、「崩れ落ちて行く世界」「命輝け」に象徴されてる、現実に自然が破壊されていってる場所への思い入れが1つ。喜如嘉は、ぶながやの里、きじむなーの住む森(※注:ぶながや=きじむなー=ガジュマルの樹や森に住むと言われる精霊)と沖縄では言われているんだけど、きじむなーは戦(いくさ)が嫌いで、戦争が起きるといなくなってしまう。平和の象徴としての喜如嘉、そのぶながやがいなくなって久しいんじゃないかと。それで、ぶながやに会いたいという言葉を入れました。ちなみに今回「目が怖い」にキッズコーラスで参加してるウチの子ども達の名前も、紅型作家のたいらみちこさんの絵本「ぶながやの見た夢」に出てくる、ヤンバルクイナに乗って世界に平和の種を撒く二匹のぶながやの名前から取ってます。カクマクシャカとコラボした前作『音アシャギ』でも「ぶながやの見た夢」というトラックの中でその本を読み聞かせしてるのでぜひ聞いてみて下さい。

■3曲目「ガジャングルサー追いかけた日々」&4曲目「鳩よ」
どちらも能天気にノリの良い曲に乗せて「何気ない幸せな日々」の中に時折見せる「違和感」や「悲しみ」や「嘘」が垣間見えるのですが、これはそれぞれいつ頃の沖縄を描いた曲ですか?■


竜海:8曲目「逆立ち幽霊」と並んで3曲とも全部19~20歳のDUTY FREE SHOPP.結成前の曲で、小学生時代の読谷の原風景をモチーフにしてて、あの頃の僕と今の僕はどこに行ってしまったんだろうという歌です。「鳩よ」も小学校時代に見て衝撃的だった映画「風が吹く時」からのタイトルを歌詞に引用してますが、青い海、青い空、どこまでも続く金網、その矛盾とか、「象のオリ」(※注3)とか、日の丸焼き捨て事件(※注4)など、読谷で生まれ育つ中で感じてきた僕なりの平和への思いが込められてます。
(※注3:「象のオリ」=読谷村にあった米軍のレーダーアンテナ基地、楚辺通信所の通称。現在は撤去されている)
(※注4)「日の丸焼き捨て事件」=1987年に読谷村で開催された国民体育大会で、会場に掲げられた日の丸を村民が引き下ろし焼き捨てた事件。その後右翼による報復でチビチリガマの平和の象が破壊された


■5曲目「夢x時」feat.カクマクシャカ
盟友カクマクシャカとの出会いについては2006年のコラボ「音アシャギ」で語られていたけど、あのアルバムから6年、改めて今回の位置づけは?■


竜海:カクマクとはバンド時代からの付き合いで、音楽面でも精神面でも頼れる相棒です。作ってる内に何度も迷ったり悩んだり自信が無くなって挫折しかけた時に、これで大丈夫出来てますよ、と背中を押してくれた。あいつがいてくれてやっと出せたというのがある。
今回はゲスト無しで、全部の曲、自分が歌ってるというアルバムにしようと思ったけど、1人だけゲスト入れるとしたらやっぱりこいつだなと思った。普段は言葉の量、熱量、文字数のボリュームの中で伝えるヤツなんだけど、今回は「8小節の中で最大のインパクトを出してくれ」とオーダーした。

■6曲目「目が怖い」
先ほどぶながやの話題でも上がった4歳と5歳の子ども達がついにコーラスで登場!子ども達の感想は?結婚して、子ども達が生まれて、人生的にも音楽的にも大きく変わった事は何ですか?■


竜海:丸くなったな、とよく言われます。人並みに、ということでしょうか。子ども達は(録音を)ものすごく喜んでました。父ちゃんのCDに入ってるんだよ〜と色んな人に自慢してます。音楽好きでさえあればどんな辛い状況がきてもなんとか生き延びられると思っているので音楽好きな子に育ってくれればと思ってます。

■7曲目「旅ダチ」
沖縄が世界に誇るインストゥルメンタルバンド「太陽風オーケストラ」との出会いとコラボのキッカケは?また先輩方との音づくりの面で刺激を受けた部分や勉強になった事は何ですか?■


竜海:太陽風との出会いは、2006年にMarieさん(※元「マリーwithメデューサ」のVo.、沖縄ロック界の女王と呼ばれた)のAsian Roseという曲にラップで参加させて頂いた時に、コンベンションでレコ発コンサートがあって、その中でコラボで参加させて頂いたのがきっかけです。イントロのジャズ的なテンション進行はKey.やっしーさん(松元靖)が考えた。クリックとコード進行だけは決まってて、ループの中でいろんな演奏パターンを取って、僕がProtoolsでエディットして組み上げて行きました。太陽風の皆さんも出来上がるまでは完成図がどうなるか分からないという状態で(笑)。レコーディングで感じたのは、皆さんの引き出しの多さ。じゃ、これは?ていうのが次々ドンドン出て来る。だから編集が大変でした、どれも捨てがたいという所で(笑)。

■8曲目「逆立ち幽霊」
先ほど20歳頃の曲という話で出ましたが、改めて。私の知る限り、この曲は毎年慰霊の日(6月23日)に沖縄全土の小中学生から募集する作文の中で、当時中学生の竜海が全沖縄の代表に選ばれた作文がベースになっているんですよね?■


竜海:1994年、14歳の時かな、小学生の頃チビチリガマ(※注4)に入った時の印象を描いた詩が「平和の詩」の部門で「沖縄県知事賞」を受賞しました。そのガマの中にいた人達と現代を交差させた詩がこの歌のネタ元になっています。詩自体は直接同じ言葉ではないんですが、同じ設定を違う言葉で書き直したというか。沖縄戦で無念の死を遂げた骸骨が逆立ちのまま土に埋まってて、六月の雨の中、窓の外に幽霊達がさまよってるというイメージ。慰霊の日の鎮魂歌として作りました。
(※4:「チビチリガマ」=読谷村にある自然洞窟、沖縄戦の時に多くの人が隠れ、極限状況の中で住民85名が集団自決した。)

■10曲目「かとりせんこう」
最後の曲は今作で一番古い高校時代のバンドの曲との事ですが、高校3年生にしてはかなり渋い楽曲ですね(笑)■


竜海:いやー、ギター一本で引いてる時はもう少し四畳半っぽい曲だったんだけど(笑)、メロディーとか何も変えてないのに林祐次さんの鍵盤が入ったお陰で相当イメージが変わりましたね。テーマ自体も元々大きいけど、サウンドも壮大な曲になった。

■どれも思い入れのある10曲、曲順はどのように決めましたか?■

竜海:作ってるときはこの10曲をどうまとめたらアルバムに収まるか見えてなかったけど、曲順次第でちゃんとした意味が生まれるだろうと思ってました。Facebookで呼びかけて色んな友人に「俺ならこうする」っていうを曲順を提案してもらったりして参考にしながら、組み立てていきました。「新しい世界」の「辺野古」という言葉から始まって「もうすぐ夜が明ける」で終わるという流れが出来た時に、自分の中で凄く腑に落ちて、僕の伝えたい事がちゃんとアルバムに収まったと思いました。


【session 4:アルバムの外郭〜ジャケ、アー写、リリース形態など】
■今回のジャケット、タイトルも入れず、ひたすらインパクトがあるのですが、作者であり提供してくれた「新門夫妻」の2007年の新聞記事にある写真の中の小さな絵を見てよくここまで深く思い入れ、長い時間かけて追求し、実現しましたね。その要因は何だったのでしょう?■

竜海:今回のジャケットの絵は、幼少期から筋ジストロフィーを患いながらも地域で自立した生活を実践し、絵を描き続けた沖縄の画家、新門登さんが、妻の直美さんを描いた肖像画です。新聞で一目見て、これは奥さんを描いた絵だとすぐわかった。1枚の絵から伝わって来る情報量がすごくて、口で筆をくわえて書いたという執念やエネルギーもすごいと思うし、生活するだけでも不自由な中で、最愛の妻を口に筆をくわえて描くことの思いがどれだけのものか。普通琉装の人を書く時、背景はたいてい海や空、観光の島のイメージ。でもこの絵は背景が真っ暗闇ていうのがインパクト強くて、嬉しいとか悲しいとかだけじゃなくて、苦しみとか絶望とか喜びも希望も全て含めた絵なんだなと。この記事を見た瞬間に、かみさんに「俺、次のCDを作る時これをジャケにするから!」って宣言しました。すぐにでもCD作りたかったけどそうもいかず、2009年に新門登さんが亡くなった事を新聞で知って、早く会いに行けば良かったなと思ったけど作れなくて、やっと去年奥さんの直美さんに会いに行って五年越しで実現した。2010年に「新しい世界」という曲を作って、その後3.11が起こって、あらためてこの曲を主軸にしてアルバムを作ろうとなった時に、やはり「命輝け」というコンセプトにこれ以上ふさわしいジャケはないと、自分の中の整合性が取れた。震災が起こる前から決めてたけど、あらためて確信を持って世に出すことができました。

■アー写を撮影した石川真生さんとの出会い、撮影の実現に至るまでの経緯、そして感想などあれば教えて下さい。■

竜海:このジャケのインパクトに対抗するアー写を撮れるのは真生さんしかいないと思って。彼女の写真展「フェンスにFuckYou!!」のモデルになるのと交換条件でOKしてもらって実現しました。真生さんはうちの母の友人なので僕が子供の頃から知ってるけど、ミュージシャンとしての立場で話したのは初めて。やりたくないことは絶対やらない人だから、撮ってもらえて嬉しい。

■パッケージというリリース形態についてのこだわりと、今後の配信の可能性についてどう思いますか。■

竜海:自分の趣味がCD集めなので思い入れがあって、紙ジャケを作りたい、絵ジャケならなおさらと思っていたので、配信が主流になってる上で、あえてということはないけど、作品という「形」を持たせるという事の意味があると思って。作ったものを会った人に手渡すというスタイルは続けたい。キッカケとして配信は良いと思うけど、僕の規模で配信で出したら絶対に元がとれないので、値段も2300円と高いんですけど、それぐらいの値段を出して応援してもらってしか成立しない音楽があるということもリスナーの皆さんに理解して頂けたらなと思うし。低予算で打ち込みと宅録で完結したものと、フルバンドでスタジオで録ったものが同じ値段で市場に並んでしまう中で、単純にダウンロード数だけで採算を考えると後者は成立しなくなっていくんです。予算に縛られて表現を妥協しないためにはどうしたらいいのか、時代に合わせた音楽活動のあり方というのを模索中です。そういう意味で、最初から配信はせずに、まずはプレスしたCDを売り切ってから、来年あたりに配信は考えようかと思っています。

■今後についての計画等あれば教えて下さい。■

竜海:今、ビックリするぐらい白紙。ノープラン(笑)。今の自分の等身大の実力で出来る事は全て注ぎ込んで出したので、もぬけの殻です(笑)。とにかくこのCDを沢山の人に手に取ってもらえるように頑張ること。それだけですね。今回は自分に出来ることと出来ないことをはっきりさせる為に、全て一人で企画・制作・営業・販売をコントロールして自分でセルフマネジメントでやったけど、また次の1歩に出るにはまた人の力が必要だと思っていて、このアルバムを名刺として、一緒にやりたいと言ってくれる人をこれから探して行くことになるでしょうね。僕の音楽を評価して一緒にやってくれるミュージシャンか、プロデューサーか、スタッフか分からないけど、ミュージシャンとして一緒にものを作れるパートナーを探していきたいです。

■長時間にわたるインタビュー、ありがとうございました。これからのますますの活躍にファンの1人として、心から期待しています!■

(interview&edit: KEN子 2012.10.27)



エンジニア伊東良則インタビューはこちら
曲目と解説はこちら
ジャケの絵についてはこちら

-------------

アルバムの詳細と試聴はこちら
レコ発ツアー詳細はこちら
アルバムに寄せられたコメントはこちら
メディア出演&掲載情報はこちら
CD取扱店一覧はこちら
CD通販のお知らせはこちら


関連記事