知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

落ち穂8:『真実はどこに?』

琉球新報コラム 落ち穂
第八回 (07/4/17掲載分)
『真実はどこに?』

 戦後の日本の学校教育は、まず教科書の軍国主義的な記述を墨で塗りつぶすところから始まったという。最近教科書検定で沖縄戦についての内容から「日本軍が豪の中で沖縄住民に集団自決を強要した」という記述が削除されたという記事を読んだ。今度は僕らが小学校の時から教わってきたことが「やっぱり間違っていた」という風に変わってきている。
 「歴史は常に勝者によって作られる」という諺の通り、僕らが受けている教育は国の政治体制や利害の都合でころころ変わる。では普遍の真実はいったいどこにあるのか?
 僕が以前北京に留学していた時、向こうで仲良くなった日本人と歴史認識の話になった。彼は沖縄戦で日本軍が集団自決を指示するわけがない、まず証拠が無いと言った。僕が、沢山の生き残ったオバァ達がそう証言をしているよと答えると、彼はこう言った。「でもそのオバァ達の証言ってどれくらいの信憑性があるの?」
この言葉を聞いたとき、僕は頭をがーんと殴られた気がして、思わず怒りが込み上げた。彼の意見はこうだ。戦後の沖縄の「偏った」教育と新聞報道の影響でそういうことがあったと言う方が得だと思い込まされているだけだと。だが僕はこれまでに何度も戦争の時のことを語るオバァの涙を目にしてきた。そこには嘘も計算も無かったと思う。そこから感じた自分の気持ちはたったひとつ「真実」と言っていいものではないか。
 結局僕らはその時現場にいたわけではないから、今となっては本当のことはもう分からない。あの戦争は日本の侵略戦争だった、いや、アジアを解放する為の正義の戦いだった。それぞれの立場の言い分があり、見方を変えればどちらも「正しい」し、「間違っている」のである。
 正しいか間違っていたかという議論は感情的な対立しか生まない。そこからは平和は生まれない。だから今こそ僕は歴史を評価しないという態度が必要だと思う。肯定も否定もせず、事実は事実としてふまえた上で、これからどうしたらいいかを皆で議論していくべきだ。




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