落ち穂10:『鶏が先か 卵が先か』
第十回 (07/5/14掲載分)
『鶏が先か 卵が先か』
アメリカでの銃乱射事件のニュースを見ていて考えさせられる。銃があるからこのような事件が絶えないのか、それとも事件が絶えないからこそ護身のために銃を持つのか。そもそも銃などなければ悩む必要も無いはずだが、一度持ったらそう簡単には手放せないらしい。
この問題はまさに戦争の縮図でもあると思う。争いが起こりそうだから武力を持とうという話があるが、逆に武力があるから争いが起こってしまうということはないか。相手が核兵器を持てばこちらはイージス艦を配備する。軍隊を持てば弾道ミサイルを用意する。ミサイルを向けられたから平和憲法を変える。憲法を変えられたから一刻も早く先手を打つ。先手を打たれたから報復に空爆を。空爆をされたので仕返しに原爆を・・・と最悪のシナリオにならないか心配だ。
チェスや将棋のように、相手が打つたびに打ち返していると、しまいには誰が先手を打ったのかさえ分らなくなりかねない。もはや日本を取り巻く状況はそのような局面に突入している。相手が打つから打つ、相手が持つから持つ、という繰り返しでは世界から戦争は無くならないのではないか。我々はどこかでこの連鎖を断たなければいけない。その為には、ハラワタが煮えくりかえるような憎しみを許さなければいけない。知りたくもなかった真実を知り、子供たちに伝えなければいけない。プライドを捨てて謝らなければいけない。白旗を振って降参しなければいけない。勇気を持って銃を先に下ろさなければいけない。丸腰の両手を上げ、にっこり笑って握手を求めなければならない。
昨今、家族を守る為に命をかけて敵と戦った父の美談ばかりにスポットライトが当てられているが、家族を守らなければならないはずの父が戦場に行かなければいけなかった原因や、そもそも家族の命が脅かされるような原因を作った人たちの責任が追究されることはなかなかない。有事の際に家族の為に命を捨てて戦う勇気と覚悟があるというならば、今まず先に戦争が起こるのをくい止めるために命をかけるべきだろう。
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