知花竜海の音楽凡楽

ロック・レゲエ・ヒップホップ・沖縄民謡などをチャンプルーしたサウンドに、言葉遊びと深いメッセージをちりばめた歌詞で新世代の沖縄音楽を創り続けるミュージシャン/プロデューサー知花竜海(DUTY FREE SHOPP.)が、活動情報や日々のつれづれなどを書いていきます。

NEWシングル【海鳴りの島】親川志奈子さんからコメント頂きました!!

沖縄の言語や文化を継承していく為に、研究から教育の分野までさまざまな取り組みをしている親川志奈子さんからNEWシングル「海鳴りの島」へのコメントを頂きました!
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私が初めて知花竜海を聞いたのは2003年のハワイだった。英語教育について研究するはずだったのに、ハワイに行って初めてハワイ語のことを知った、頭をハンマーで打たれたような衝撃だった。ハワイの先住民族カナカマオリは、継承を阻まれ消滅の危機に瀕したハワイ語を、再び自らの手に取り戻すため血の滲むような努力を重ねていた。沖縄生まれのウチナーンチュの私はとといえば、日本語と英語を話せどもウチナーグチは全くダメで、そのことが何を意味するのかさえ考えてこなかった。ハワイ語復興運動を学びながら、私は掛け違えたボタンを直すように、祖国(沖縄)を見つめ、私のルーツと向きあった。

 その頃、同じくハワイ留学中のウチナーンチュから知花竜海のカーミヌクーを聞くように勧められた。「失ったら元ねー戻ららん言葉 深く深く掘れボキャブラ はっしぇや—や誰—やが? 」「沖縄、生まれ育ち愛してやまない島 やしがまた年々自然や文化が 失われつつある今 無くなしていいばー?我した島言葉 」「次に核家族化の負荷今だ深く 親もあまり訛り子供の前じゃ使わぬはず オジーオバーと喋れない孫 深刻な沈黙がやがてしんどくなる 」「言葉を奪い自我を封ず同化政策 大和ナショナリズム振りかざしたような生活 やしが耳を澄ませ 島の唄は鳴り止まぬ 脈々と根をはり 伸びるLike aガジュマル 」、「カーミヌクー」という単語が私の先祖が入っている亀甲墓の事だとも知らなかった無知な私に彼のリリックが次々と突き刺さった。
 帰国した私が「シマクトゥバの研究したいわけさ」と熱っぽく語るのをウチナーの人々は奇異な目で見てこう言った「でもさ、ウチナーグチって生活に必要ないさーね、今更もう無理じゃない?」「えー、そんな暇があったら英語の勉強したほうがいい」。モチベーションが削ぎ落とされる日々の中、2001年に「カーミヌクー」が世に出ていたというヤバさを改めて感じて鳥肌が立った。

 あれから15年、「海鳴りの島」がリリースされた。この十数年で沖縄社会は目まぐるしい変化を遂げた。沖縄県の調査によると80.3%の人々が「シマクトゥバに親しみを感じている」と回答し、86.8%が「子供達がシマクトゥバを使えるようになることを望んでいる」という結果が出ている(ウチナーグチは沖縄島の言葉を指す、だけどウチナーグチでもコミュニティごとに言葉が違うし、宮古や八重山など他のアイランドに行けばまた言葉が全然異なるので、コミュニティとアイランド両方の意味を込めて琉球諸語のことをシマクトゥバと呼んでいる)。だけど現実は厳しい、「しまくとぅばをよく理解できる」と回答したのは10代ではたったの4%、若者の多くが「シマクトゥバは大切だと思うけれど私は聞けないし喋れない」と語るに等しい。私も抱えるこの理想と現実の乖離に苛立ちをも覚えていた時、「海鳴りの島」そして「サン」を聞いた。

 窓を全開にして海岸沿いをドライブしながら聴きたいような、ビールかシマーを片手にビーチパーティーで聴きたいような、とにかく汗ばむ肌で感じたい「海鳴りの島」、そして小さなセットで臨場感あふれる一人芝居を見ているような緊張感のあるムード満点の「サン」、この二曲は日本語まじりのウチナーグチで書かれていた。楽曲を聞く前に知花竜海から聞いた「今まではさ、ウチナーグチの歌詞は日本語を訳しながら、辞典を引いて、ウチナーグチができる人のアドバイスをもらって作っていたけど、今回は最初からウチナーグチで作った」という言葉を思い出した。カーミヌクーで示された思いはガジュマルのようにしっかり根を伸ばしていた、彼の刻むリズムに彼の思いが乗った。それは沖縄らしさを演出するために添えられた旋律や単語なんかではなく、2016年の沖縄を生きる彼のリアルであり、目を見張ろうが背けようがそこにある沖縄のリアルだった。ウチナーグチで描かれた沖縄のそのリアルさにクラクラした。
 
 オーディエンスはどうだろうか。私はウチナーグチのリリックを歌詞カードなんか見なくても聞き取れている私に感動し、私の歩んできた月日を振り返ることさえしてみた。5歳の息子は「サン」に出てくる言葉を拾い集め「サン小って言ってたね」「『みみずの涙』のお話面白いよね」「今日サンサナー取りに行こう」と割り込んでくる。ハワイにいた頃は「将来子どもが生まれる前までには絶対ウチナーグチをマスターしてウチナーグチで育てる」なんて考えてたのに、実際私が彼らに手渡しているのは、まだほんのわずかなエッセンスでしかない。
 このCDを手にするということは、知花竜海のチャレンジに身を任せることでありながら、私たち自身が揺さぶられチャレンジさせられているということなのかもしれない。この世界はウチナーグチで表現できるのだという事実と、ウチナーグチで表現された世界の持つ意味、それらは同じようで異なり、でも表裏一体のようでもある。今年は世界のウチナーンチュ大会の年でもある、沖縄にルーツを持つ若い人たちと一緒にこの曲を聴き沖縄を語りたい、歌詞に出てくるフチャギを食べながら(今日は沖縄カレンダーの8月15日だ)そんなことを考えたりもした。

親川志奈子(琉球大学大学院生・Okinawan Studies107共同代表・琉球民族独立総合研究学会理事・しまくとぅば連絡協議会事務局長)

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